日記



週末は愛する人がそれはそれは気持ち良さそうに恰好良く歌う姿や、愛する人が水割りを片手にご子息と語らう姿や、愛する人が美人と抱き合う姿や、愛する人のもうほとんど信じられないくらいセクシーすぎる無精髭(はじめて見た)を眺めてどうしようもなく打ちのめされていた。集団の中で、わたしは愛する人の傍に居ても気の利いたことがひとつも言えない。ちびちびビールを飲んではひたすら煙草を吸っていた。ビールは苦手だ。集団も。それでもそこに居たのは、愛する人がそこに居るからで、だけどそんなわたしを見て愛する人がつまんねー女って思ったかもしれないと思うだけで死にたくなるなんて愚の骨頂だとわかっててもやっぱりそう思う。愛する人が、率先してお酒を作ってるすごく陽気な美人を指して「見習いなさいよ」とわたしに向かって言ったことが楔みたいに胸に突き刺さってるし。なんてこたえたかすら不明瞭なのに、息ができないくらい苦しかった感覚だけはまだ鮮明に覚えている。し、いまだに苦しい。



そんでもってなんで生きてるんだろーってぼーっと支度してぼーっと地下鉄乗ってぼーっと上野の公園口に立っていたら、ほとんど半年ぶりに会うかけがえのない友達のすごく目立つ愛くるしい姿がぱってヴィヴィッドに視界に入ってきて、ひさしく感じなかった種類の幸福感がわいた昨日の午後。友人Mは、茶色のコートにつぎだらけのブルージーン、ぐるぐるにまきつけたターコイズブルーのストール、赤い革のバッグと愛用のカメラを斜めがけにして、フランス映画の子役が抜け出してきたみたいにしてそこにいて、そんな姿を見るだけでちょっと涙が出そうになった。彼女もゴヤの《ロス・カプリーチョス》もウィリアム・ブレイクユイスマンスの『さかしま』も乱歩の梅カクテルもにゃあにゃあ啼いてマスターを困らせてた良介くんもすごくすごく良かった。友人Mのおかげで気持ち良くなって、つい阿佐ヶ谷で独り飲んだくれて帰る。梅酒よりウォッカの方がすいすい飲めちゃうという不思議。でも飲んだくれたカフェバーでデリシャスウィートスのイベントを見つけて予約できたのは大きな収穫だった。



それから、これはごくごく個人的で利己的な愛情なのだけど、会ったこともないけれどもありふれた媒体を通じて近しい気持ちを一方的に抱いているひとが、わたしのあずかり知らぬところで、でも意外と距離的には近いところで、日々仕事に行ったりごはんを食べたり休日を過ごしたりして、すこやかに楽しそうに生きてるんだって思うと、そう思うだけで心がふっと軽くなってなんとなくしあわせになるのは、自分でもなんだかよくわかんないけど良いな。愛する人に会えなくても、会えないどころかジャブ、ジャブ、ストレートときどきカウンターみたいな殴打の連続でも、そういうしあわせがある以上なかなか簡単にハカナくなれないもんだ。