思考



どうやったら楽にハカナくなれるのだろうかーなんて中2病めいたことを、それでもある程度真剣に考えていたけれど、ひさしぶりに過食して吐こうとしてだけどひさしぶりすぎて吐けなくて、単純に満腹になってぐーぐー寝て起きて、すきっと晴れた朝からやっぱりすきなひとがらみで打ちのめされて(いつものことだ)、だけどなんだかすこんとヌケた気がふっとしたんだ、さっき。



恋愛なんてめんどくさいものからはとっとと足を洗って仕事と趣味と、そしてたまーに気の合う友達とくだらないこと喋れればしあわせって思っていたのだ、今年になってからずっと。でも恋はするもんじゃなくてオチルものだ、みたいなどこかで聞いたような言葉どおり、まんまと恋に堕ちてしまったわたしは、きっと傍から見たらばかみたいで、当事者としてはすごく苦しい。



だけど、

「四六時中、あなたのことを考えてます。そしてね、気づけばいつも、頭の中であなたに話しかけてるんです」

「そうなんだ」

「はい。今日も良いお天気ですねー、とか。サディスティック・ミカ・バンド良いですねー、とか」

「へえ。そうしてると楽しい気分になるの? なんつーか、やる気が出たり?」

「うーん。楽しいっていうか、むしろそうしてるのが当たり前すぎて。ん、でもそうか、それが楽しいのか! はい。楽しいです」

「なら良かった」

ていう会話はしっかりと脳内に刻んであるわけで、髪の手触りとか腕や背中の感触とか、すきな煙草やお酒の銘柄も寝言も習慣も、この失態や苦悩以前のわたしなら知る由もなかったわけで、そう考えるともう悩むのもばからしいなーっつうか、貸していただいたCDと置きっ放しのパジャマと宙ぶらりんのデートの約束が最低あと1回はある程度正当に会えるチャンスを確立してくれているんだって思えて(日々の打ちのめされ方から考えるとぜんっぜんそう思えないんだけど)、チョコレート食べ過ぎてる場合じゃねーなあとか反省する気になった。たとえ叶えられない約束でも、縋ってなんとか生きてくんだ。その結果、もう一生水族館に行けなくなってもサティに耳をふさぎたくなっても同じ年恰好のひとを正視できなくなっても、それもこれもぜんぶ受け止めてやろうじゃん、て思う。今だけかもしれないけど。