日記


三連休。昨日は横浜トリエンナーレと中華街に行ってきた。明日は調布の落語会へでかける。中日の今日は、家事を済ませて横浜みやげのケーキを食べ、渋谷へ髪を切りに行った。帰宅してからはダリオ・アルジェントの映画を堪能した。なかなか充実した休みである。横浜は元町といえばの喜久屋のケーキだが、素朴な、というよりもむしろ、口腔内の水分をぜんぶ持っていかれるようなタイプのものだった。が、ビジュアルが可愛いすぎるので良し。はちみつレモンケーキ。


トリエンナーレでは、横浜美術館につくやいなや脱力する面構えの奴らにお出迎えされた。向かって左端のがすきだった。アラーキーの写真で不覚にも涙腺が弛み、映像の展示では「シュヴァンクマイエル(のアニメーションにそっくり)やー!」とHさんとこそこそ騒ぐ。いちばんすきなのは「オルガン」だった。ジャングルジムみたいなオルガンをね、鉄パイプと送風機で造ってしまいました、という代物。そういうよくわからない根性はすきだ。横浜美術館ミュージアムショップでポストカードをたくさん買えて満足。ベイスターズが(めずらしく)勝ってよろこびに沸く関内でHさんと別れ、地元っ子のTさんと落ち合って元町のお買物をナビしてもらう。中華街まで歩いて夜ごはん。フカヒレまんと小籠包と牛そばなど美味しかった。山下公園から赤レンガ倉庫を抜けてみなとみらいの駅まで歩く。アートなイベントであちこちの木々にぼんやりとした赤青黄色緑の灯りがぽうっとともっていて、宮沢賢治の『ポラーノの広場』みたいと思う。


ロック談議に花を咲かせつつ根元を染め直し毛先を切って、トップにだけパーマをあててもらった。きれいにセットしてもらった髪の毛だが、きっと明日の朝までもつまい。

日記


望みがまったくなさそうでというよりほんとになくてでもたまーに一条の光が分厚い雲の切れ間から射し込んできて、いつかなにかの間違いで少しでも近づけるかもしれないとか冷静になったらいや絶対に無理だわーとかそんなことを考えて苦しい恋をしているのでむろんのこと苦しい。しかし過ごしやすさとともに恋煩いの乙女のもとにも食欲は容赦なく訪れるのであった。という感じで、いっとき良い感じにやつれていた頬が再び元通りになりつつある。

業務の調査官の先生とのやりとりが多くてぴりぴりした1日。4時間ほど残業して帰る。上司や先輩にめぐまれているなあ、と改めて思った。「来月は今の50倍くらい忙しいからー」と先輩から笑顔で言われても、前職に比べると給料が5万円以上下がっても、やっぱり転職して正解だった。あたたかく愚痴を聞いてくれる友人たちにも心から感謝だ。

小さい家具をちょこちょこ買い足して片づけ中。これから忙しくなって疲れて帰ってきても、ほっとできる部屋にするのだ。とりあえず、週末に鍋いっぱい作ったカレーにはまだまだ飽きていない。カレー、すきだしね。

日記


落語同好会を結成する。活動内容は落語鑑賞と飲酒。構成員はHさんとHさんのお母さんとわたしである。早速、昨日の夕方に吉祥寺でさん喬・喬太郎親子会を聴きにゆき、終電まで蕎麦屋ですいすい日本酒を飲んだ。宗教話でおおいに盛り上がる。

今日。横浜トリエンナーレに行くつもりだったけれど、朝寝と曇天を理由に延期。コーヒーを淹れ、Hさんのお母さんにいただいたアップルパイの朝食をとりながら北村薫なんぞ読んでいると涙腺が決壊した。あの言語感覚はずるい。悔しい。昨日目をつけていたもろもろの雑貨を買うべく吉祥寺へ。曇天とはいえ涼しく秋めいた良い日なので、45分かけて歩いていくことにする。ふらふら道草を喰いながら、天真爛漫なセロリとにんじんを買って帰る。遅いお昼にラーメンも食べる。麺自体がソフトなちぢれ玉子麺にもかかわらず、麺の固さで「固め」が選べるというよくわからないラーメン屋。美味しかったしラーメン欲が満たされたので良し。夜は、買ってきたセロリとにんじんと玉葱でポークカレーをことこと煮込む。月曜日のお弁当(牛蒡とにんじんのきんぴら丼)もつくる。


夜ごはんのあとのお茶タイムで、いろんなお茶菓子があってそこから選べるのは幸せ。今夜の映画のおともはレモンバターケーキだった。

日記


先週末は落語三昧、平日は仕事三昧でなかなか面白い一週間だった。が、すっかり《紺屋高尾》(染物職人がアイドルばりの花魁に恋わずらいしてがんばる噺)状態で、ぽーっとしたり落ち込んだりしていると、あっというまに過ぎてしまった。

先週末の3連休は、文左衛門師匠の落語会、喬太郎・談笑ダブルス、再び文左衛門師匠の落語会と連日落語漬け。最高の3日間だった。落語のあいまにSや親友Yの仲を取り持とうと画策したり。落語会がそれぞれ用賀・銀座・浅草であったので、いろんなところに行けたのも良かったな。初日はTさんと用賀から渋谷に移動して映画や懐かしいカフェにも行けた。銀座では煉瓦亭のオムライス(元祖!)を食べに連れて行ってもらう。

休み呆けを心配していたけれど、呆けるまもなく仕事に追われる。文科省と職場を行ったり来たり。残業で詰め込んだにわか勉強も昨日役に立った。実は昨日付けで試用期間が終わり本配属となったので、実質的に仕事はすでに始まっていて今さらなんということはないがやはり気分的にめでたい。というわけで、昨日は新宿で服を買い、美味しいカレーを食べて帰った。ご祝儀だ。

帰りしな寄った新宿TSUTAYAで、トルコ人から熱烈な求愛を受けたのが印象的だった。スプラッタホラーコーナーで真顔で借りるものを選んでいる人間にだけは、わたしなら絶対に声をかけない。帰りに丸ノ内選に乗るときも「おつかれ! 俺だけど! 俺だよ! 俺! 久しぶりだから飲みに行こうよ」と声をかけられ、前職本社が新宿だったので記憶にないけれど営業部のひとか?と思いつつ「失礼ですが…人違いでは?」と返すと、満面の笑みで親指を立て「あたり!」と言われて失笑する。古典的な手法なのだろうが、いまどきめずらしい本人の風体にも合わない昭和な感じが面白く、落語に凝っていることもあって気の利いた切り返しで応じてやろうかとも思ったけれど「そうですか、それじゃあ」と逃げてしまった。「瀬をはやみー」なんて煙に巻いてやればよかった。

日記

生まれも育ちも九州なので「こっち」の台風なんてお茶の子だ。と、鼻息も荒く、お釈迦になった傘を片手にサザンを歌いながらご機嫌で帰宅した。会社も午後から休業。がらがらのショッピングモールに寄りストッキングとショートブーツを買ったりなぞする。帰ってからも、ひさしぶりにゆっくりと料理をしたりコーヒーを淹れたり。


お茶請けに、週末みやげのフロランタン。連休最終日はHさんと日暮里から上野界隈を散策したのだった。落語について喋りながらだらだらと歩き倒す。


根津からスタートして。


へび道のフロランタン専門店でおみやげを買う。


休憩を挟んで、あとはひたすら上野まで歩いた。上野では芸大で源氏物語の展示を見る。鈴本の前を通って、文左衛門師匠がトリだなんて!と全力で後ろ髪を引かれつつ秋葉原、湯島経由で本郷三丁目まで。時折、夕方になると「欠落したままの状態を淋しく思いながらも肯定したくなる感じ」がするけれどあれはなんだろうか、という話ができたのが面白かった。

日記


親友Yに会う。親友Yとは上京して以来、かれこれ9年目のつきあいになる。しばらくぶりに会ったが、大学時代からまったく同じ感じでずーっと話し続け「あーくだらない」「うん。8年前と変わらないねー」「なんかこれから先も、こういうくだらない話をし続けてそうな気がする」と互いに確認しあった。西荻窪でごはんを食べながら、互いの近況について罵りあい、Yのモロッコ旅行話をげらげら笑いながら聴き、美味しいパン家さんでパンを購入し、もうすぐYの誕生日なのでケーキを買って帰宅。お茶からアルコールに切り替えて、肴も用意しだらだらと飲む。遠い将来、《笠碁》のご隠居達のような関係になれたらいいなあと思った。来月22日に会う約束をして別れた。

落語

毎日新聞落語会 渋谷に福来る 落語ムーヴ2011@渋谷区文化総合センター大和田

文左衛門師匠と遊雀師匠のトーク。文左衛門師匠の遊雀師匠いじめ(「元師匠に挨拶してこい」「だから殴ってませんてば!」)と、リアル《子別れ》(離婚した奥様と一緒に暮らすご子息との「何か食いたいものはあるか?」「鰻」のやりとり)から入って客席をあたためる。落語会らしい落ち着いた導入。前から5列目という間近で見た文左衛門師匠ときたら二枚目演歌歌手みたいでめちゃくちゃ格好良かった。

春風亭昇々さんの創作落語(お受験を題材にしたもの。お母さんの真似がリアルすぎる)のあと、文左衛門師匠の一席目。静かな口調で飲む打つについての枕から入ったので、いきなり《文七元結》を演るわけないからまさか《試し酒》かなあなんて思っていると《笠碁》。幼馴染の囲碁友達のご隠居二人が「待った」「待たない」からケンカになって意地を張り合う噺なのだが、彼らの心情や意地や不安や悔恨をあらわす表情と仕草と語りが、もうなんとも言えず良かった。派手な噺ではないものの、あの臨場感と緊張感と、そしてほろりとさせる様は凄い。古典落語をしっかりと習得された師匠にしかできないきっちりとした語りで感動した。クライマックスに訪れた一箇所だけ破格の「間」(Hさん曰く「客席を不安にさせるくらい長い間」)が、わたしはとてもすきだった。全体の構成からも、噺を引き締める「異分子」として機能していると思う。

お仲入り後、遊雀師匠の《悋気の独楽》。かなり昔に鈴本で聴いて以来だけれど、わたしはこの噺がとてもすき。遊雀師匠の飄々とした感じが「莫迦」を演じる際にいっそう際立っていた。

トリはもちろん《らくだ》。なぜ人気があるのかわからないほど悲惨でグロテスクな噺なのだが、鳥肌が立つくらい良かった。文左衛門師匠の《らくだ》がもの凄い評判なのも良くわかる。並々ならぬ凄みがあるのだ。まあ、全編を通して凄みまくる必要のある噺(ちんぴらが屑屋と長屋の住人を脅す噺)なのだが、強面の師匠の凄みは迫力が違うのである。ただ、それだけじゃない。常に緊迫した表情を崩さないからこそ、ふっと表情を弛めたとき(「わかったわかった、あんな野郎でも死んじまったらホトケだもんなあ」)に、しみじみとした情緒まで感じさせる。最初から最後まで救いようのない噺で、死者の冒涜と弱いものいじめにまみれたストーリーなので、本来なら笑って聴けるものではない。のに、笑ってしまう。笑わずには居られない。それはきっと、迷惑だったり不本意だったりしてもう笑うしかないようなことが大量に日常生活にふりかかってくる、そんな自身の生に重ねて「噺」を見ることができるから、そして、きちんと「噺」の世界に連れて行ってくれる(興ざめしない)噺家の語りの技量があるからこそ、だ。古典落語をあんなにもきっちりと面白く、迫力をもって見せてくれる噺家をわたしはまだ知らない。Hさんと何度も確かめ合ったように、本当に良い落語会だった。(わたしの失態さえなければとくに)